明治時代の超絶技巧


明治時代を迎えて、国際社会の仲間入りを果たした日本は外貨獲得のために国際貿易に打って出なければならなかった。
はてここで困った事になる、世界に売れる商品が無いのだ。
苦肉の策が美術工芸品と江戸時代の古美術品の輸出、廃仏毀釈の影響もありこの時代に海外の博物館は日本美術の充実を得た。
現行製品は超絶技巧を売り物にして「日本の卓越したセンスと長い歴史に育まれた美意識を世界に問う」などとは縁遠い下品なものが多い。
明治の初めの頃の輸出品はそのほとんどが美術工芸品で輸出振興策としての東京芸術大学が設立されたほどである。
シルクが輸出品の花形になる以前のお話である。

明治時代の超絶技巧の一つ九谷焼き細密赤絵 
骨董市などで一万円ほどで入手できる







      2018-10-17