Made in OKINAWA
Made in OKINAWA こんなカメラがあるのを御存知だろうか。山和光学製のパルマットオートマチックと言うカメラを沖縄で組立てた物である。沖縄で組立てられた物は、ニューパックスと言う商品名で、おもに米軍基地内のPXで販売されたと言う。パルマットオートマチックは1961年の製品なので、ニューパックスはこのすぐ後の製品である。復帰前、那覇港近くの波の上と言う地区に、フリーゾーンがあった。ここではカメラの他、双眼鏡や、ラジオなどを組立てて、米軍に販売していたようである。前出の光精堂主人の話によると
「沖縄に製造業をもたらそうとしたこの試みは、失敗に終わったと思う。」
とのことである。実際に約2年弱ほどで、解散してしまったようだ。
このニューパックスと言うカメラには
Made in OKINAWA と刻印された物と
Made in RYUKYU と刻印された物と2種類ある。
このMade in RYUKYU と刻印された物は、Made in OKINAWA と刻印された物の前に短期間造られた物で、たいへんめずらしいと聞く。
「両方とも基地内で売られたはず」
と、カメラのタカチヨの店主は言う。しかし私は、以外と県内での販売を意識した物で、実際少量一般に販売されたのではないかと感じている。日本カメラ年鑑をひもとくと、大和光学製らしきカメラの中に Made in 1955 と刻印のある物がある。まだ日本のカメラ産業がメーカーによっては Made in JAPAN と大きく書きたくない時期の製品であると考えることも出来るが、(日本製は安物であった)他の山和光学製カメラには、しっかりと Made in JAPAN と書かれている所を見ると、これは沖縄において最初期に組立てられたカメラであるかも知れないと考えている。
カメラのタカチヨの店主によると、これらのほかにペトリハイライトと言うカメラが、沖縄で組立てられていたそうである。このカメラの底部には Made in American Ryukyus と刻印されている。さらにPETRI Camera Corp of OKINAWAとあり、沖縄ペトリと言うメーカーが60年代存在していたことが解る。原型は、内地で販売されていたペトリプレストのようだ。
当時ペトリで働いていた、真栄城玄吉さん(53才)によると、ペトリハイライトはPX向けで、半完成品の状態で本土から輸入して、波の土地区で組み立てていたそうである。半完成品で輸入すると、税金が安かった為、そうしていたとのことである。従業員は約40人。他に、ペトリ7や、ペトリV6(いずれも一眼レフ)なども輸出用に作っていて、トータル日産約70台だったそうである。
ペトリハイライトの価格は23ドルくらいだったそうだ。72年の沖縄返還より以前に、沖縄ペトリは解散している。最後にペトリハイライトが、市場にいくらか出回ったようだが、その数の少なさから、文字どおり幻のカメラとなっている。
沖縄の人々にとって琉球と言うのと、沖縄と言うのでは、まったく意味が違ってくる。琉球と言う時、彼らは民族の独自性と自立、あるいは日本からの独立すら意味する。今日の世界情勢がそのようなことをゆるすはずもないが、1960年前後には、真剣にそう考えていた人々が多かった。
Made in RYUKYU の刻印が短命に終り、 Made in OKINAWA または Made in American RYUKYU となったのは、案外米軍の圧力によるものかもしれない。