京成町屋駅近くのカメラ店
 京成町屋駅は、都営荒川線との連絡駅になっている。
嘗ては改札を出て左へ行くと、荒川線町屋駅と並行に長屋商店が軒を連ねていた。間口一軒から、せいぜい大きくても間口2軒位の商店が5、6件は有ったろうか。店の前の通路が、そのまま都電のホームになっている様子は見ていて面白かった。
戦後間もなく建てられたであろう商店の前の道は、京成線、荒川線、千代田線共通の通り道でもあったので、人の往来は予想以上に多かった。にもかかわらず、その一角だけ時代に取り残されたかのようであった。
京成線側から一番手前が今川焼屋であった。今もその店は健在だが、真新しいビルに建替えられた一階の角に在る。当時は町屋名物よろしく、老舗の風格さえたたえていて、行列の出来る店であった。
その隣がスピード名刺屋、さらに隣が新聞雑誌の販売店、そのまた隣が写真屋に、くだもの屋と続いていた。
ある日親父が二眼レフをかかえて帰って来た。聞くと町屋の写真屋で、むりに分けてもらったと言う。
「ハハア あの写真屋だな」私は思った。
親父は子供のように掘り出し物自慢をしている。父の世代にとって、こう言った二眼レフは本当になつかしいようであった。私は以前、都営荒川線はなかなか風情が有ると話した事がある。仕事の取引先が東池袋に有って、その帰り町屋までよく都電を利用していたのだ。しがたって、あの写真屋の発見者は父ではない。だが開拓者は父であった。その店は写真屋と書いたが、写真機を売っていたのではない。現像プリントを専門としていたが、証明写真は撮るらしく、ポラロイドカメラと、古びた写真機が2、3台有った。その内の一台が目にとまったらしい。そのカメラは、左側の棚の一番上でほこりをかぶっていたらしい。陳列してあったのではない。そこに置いてあったのだ。父は店主に見せてくれるようお願いした。思いのほか快く応じてくれたそうだ。初老の二人のやりとりは、想像すると愉快である。裸電球があたりを温かく照らしただろう。2月夕暮れの話である。一目見て父は気に入ったのだろうか。ただの気まぐれだったのだろうか。幾らで譲ってくれるかと聞いた。当然値札などない。そもそも売り物ではないのだ。しかし、だからと言って売らない訳でもない。こう言う物を何と言うのだろうか。商品・展示品・非売品・参考品・あるいは店主の宝物。いずれでもなさそうだ。理由は解らないが、何しろそのカメラはそこに有った。そして父の目にとまった。店主は一万円でどうかと言う。私はずいぶんふっかけたものだととも思うが、両者が気持ちよく取引するには、また打ってつけの値でもある。心よく金を渡すと、礼を言ってその場を去った。
カメラの名を、ミドルフレックスと言う。
ミドルフレックスは、不思議な魅力を持っている。これは1950年前後に、数多く生産された二眼レフの一つなのだが、その仕上げに特徴を感じる。一語で言えば安っぽいのだ。やすりがけのあとが多い、同時代の他の物と比較してもやたら多い。しかし、今日このヤスリがけのあとは、手造りを実感させて新鮮である。しかしどうもそれだけではなさそうである。最初それがなんなのか、自分自身でも解らなかった。ところがある日突然、その訳に気が付いた。なんとミドルフレックスのミドルと言う英語の綴りが間違っているのである。ミドルは英語で middle と書く。したがって本来であれば、Middle Flex となる。しかしこのカメラは、Middl Flex となっているのである。そう、e が足りないのである。こう言った間違いは、古今東西、小学生あたりがやらかすものであるが、カメラと言う耐久消費財でやらかしてしまっている。これは1950年代と言う時代と、弱少メーカーならではの御愛嬌である。ともあれそう言った事情を知らない輸出先にとっては、何と発音して良いものかも解らない不思議なカメラであったことだろう。あるいはこう考えてみる。前面のネームプレートに Middle Flexと全て書き込むスペースが無い。だから e を削ってしまったのだと。実際全て書き込めば、かなり窮屈になってしまっていただろう。しかし、だからと言って勝手に Middle のスペルを変えていいはずはない。それにレンズ回りには、かなりのスペースがあいていて、そこも Middl となっているのだから言訳にもならぬ。あるいは商品名として、造語のつもりであったかとも考えてみる。しかし造語と言うには何ともまぎらわしい。スペルを間違えたと思われても仕方がない。 Middl は造語と言って通る物ではない。そんな訳でこのカメラ、私をなんとも楽しい気分にさせてくれる。日本カメラ検査協会は、このカメラの輸出許可を与えている。しかしこの少し間ヌケなカメラ、実は写りがなかなか良い。こう言ったアンバランスな所が、私にとって1950年代と言う時代を強烈に感じさせる。カメラ一つで色々な事を考えさせられ、その時代にじかに触れたような気がして来る。これは、クラシックカメラコレクションの醍醐味の一つであると考える。
私のお気に入りカメラがまた一つ増えた瞬間である。