ロンジン
 父は、神田に淡平初の直営店を出した翌年、それまで使っていた手巻きのティソに変えてロンジンを手に入れた。
「いつまでも、古い時計を使っていたら、みっともないわよ。店を出したついでに、思い切って買いましょう。」母の一声で決まったらしい。
1973年のことである。
学生時代に手に入れたティソは、当時高級品ではあったが、そこは独身貴族の身の上、わりあいと手軽に手に入れたらしい。しかし、今回のロンジンは様子が違う。店を出すにあたって、借金をしている上での買物であった。店のオーナーとして、みっともない格好はさせたくない。という女房の意地でもあった。週末に二人は、日本橋三越に出かけて行った。
「時計は、三越で買わなきゃ」そんな時代である。
今では、想像もつかない高い買物なのである。このロンジンは、当時の先端技術で作られていた。文字盤には、ロンジンのロゴと供に、ウルトラクロンと刻まれている。これは今日では一般的なハイビート(1時間に二万八千八百振動)のさきがけとなった時計である。普通の時計の倍近い早さで、テンプが振動する物で、最高精度を誇っていた。ちなみにローレックスがハイビート化するのは、この約10年後、1983年である。
父はこの時計を心底愛用していた。後年、店の成功にともなって、ゴールドのローレックスを手に入れたりしていたが、どうしても、このロンジンの方が良いらしく、気が付くと他の物は、皆お蔵入りしていた。ステンレスの思い出が、金の重みにまさっていた様なのだ。無理をして買ったという思いが、父にとってなによりも、いとおしかったのだろう。舶来などと言うしゃれた物は、当時の我家には、このロンジンとティソ位な物であった。黒の本革でおおわれた、ハードケースの中におさまったロンジンを初めて見せてもらった時の興奮は、今でも忘れない。ため息の出る仕上げだった。
“これが舶来と言う物か。うわ、説明書も全部英語で書いてある。いやまてよ、世界中の言葉で2ページづつ書いてあるんだ!最後の方に日本語もあるじゃないか。読むとなんか日本語が少しおかしいな。スイス人が書いた日本語なんだろうな。中国語にいたっては、手書文字をそのまま印刷しているぞ”
私はこの説明書がすっかり気に入ってしまった。その日の晩、私の部屋には、本革のにおいがプンとする、黒色の箱と説明書があった。無理を言ってもらってしまったのである。この説明書は、高さ5cm位の小さな物だが、厚紙で出来たかたい立派な、赤い表紙がある。金で箔押された、ロンジンのマークとロゴがまぶしい。そして、全体に漂うヨーロッパテイストのデザインが、異次元であった。表紙をめくると目次があり、その次のページが見開きで、ロンジン本社の社屋の写真である。白黒のその写真は、スイスの片田舎田園風景の中に忽然と現れる、中世の城の様に古びていて孤高であった。
“こんな人里はなれて、秘密めいた所で作っているのか。何かこれは本当に、製造上の秘密かなんかがあって、日本人にはまね出来ない魔法の力で時計を作っているに、違いないな。”
その写真を、何分間か見続けた結論であった。日本製品が、どうしてもスイス製にかなわない理由の発見である。白黒の写真が良かったのである。寒々とした暗い空、初冬の頃なのであろう。この写真からは、寒気と静寂が伝わってくる。雪にうもれる直前のつかの間の息吹が、この写真に神秘的な躍動感をあたえているのである。最近、私は何かの時計雑誌で、春先のロンジン本社を写したカラー写真を見た。まぎれもなく30年前に見た、ロンジン社屋なのであるが、同じ建物とはとうてい思えなかった。前者が秘境にたたずむ魔女の館であるのに対して、後者は色とりどりの花にかこまれた、ディズニーランドのお城だ。魔女の館では、不老不死の秘薬を作っているのに間違いないが、シンデレラ城にそれをイメージする事は、不可能である。
10年前、父がローレックスのGMTを買った。ロンジンが調子悪いのだそうだ。修理に出して、戻って来るまでの間に、間が差した様に、買ってしまっていたのだった。これさいわいと、私はこのロンジンをもらってしまった。何も言わずに、自室にしまい込んだ物だから、父は数日ちまなこになって家中を捜し回ったそうである。ついに父は、私に
「俺のロンジン知らないか」と言う。私は
「あれ、俺の部屋にあるよ。」と言った。
「あれだけは返してくれないかなあ。愛着があるんだよ」
私は父の言葉にびっくりしたのを覚えている。息子はいつまでたっても、どこか父親にあまえている。息子がチョウダイと言えば、父は苦笑いしながら、なんでもくれたものだ。(もちろん、この手の物に関してである。極端な高級品や道徳をいつだつした物の話ではない。)それが、これだけは返してくれと言う。私は不覚にもこう言った。
「かたみだと思って、大切にするから」
なんとバカなことを言ったものか。
父の亡くなる、3年前の話である。