九谷焼窯跡展示館

九谷焼窯跡展示館を訪問しました。
古九谷は我が国初期の色絵磁器で17世紀に有田地方で焼かれた事になっております、ただし古九谷における産地論争は今日でも諸説入り乱れており加賀地方なのか有田地方なのか立場により分かれているのが現状です。
初日に訪れた石川県立美術館の古九谷大皿を見る限り古九谷と言っても何系統かある様で、それぞれに産地が異なると言う考え方は出来ないものかと思いました。
ひとくくりに古九谷と言いますが実際には幾つかの場所で造られた違う系統の焼き物だと言う事です。
ただはっきり言いたい事は17世紀におけるこのサイズの大皿製作は今日我々が考える以上に難しい先端技術で有ると言う事で、思いつきで唐突に製作できる物ではありません。
そう考えると長い技術的バックボーンを有する有田製説に世の中が傾くのも無理からぬ事かと思います。
今回訪れたのは再興九谷の窯跡です、ウイキペディアによれば「古九谷の廃窯から、約一世紀後の文化4年(1807年)に加賀藩が京都から青木木米を招き金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」という。 同じ頃、能美郡の花坂山(現在の小松市八幡)で、新たな陶石が発見され今日まで主要な採石場となった。これらの隆盛を受け、それまで陶磁器を他国から買い入れていた加賀藩では、文政2年(1819年)に磁器を、翌年に陶器を、それぞれ移入禁止にした」との事。
我々にもなじみ深い今日の九谷焼の発祥地です。
ところで御覧の木造建築の屋根瓦の色が独特だとは思いませんか、これは再興九谷焼の屋根瓦、古い家はみんなこの瓦でした、言われなければ見落としてしまいそうな加賀地方独特の風物です。



















再興九谷の一つ 赤絵細密は明治時代の超絶技巧













   2015-5-31