工学は何をめざすのか |
中島尚正編 ”工学は何をめざすのか” の冒頭を紹介する。 20世紀において工学はいかなる役割を果たし、あるいは果たさなかったのか? 21世紀を迎えて、これからの工学はどのような方向をめざしたらよいのか? そのために大学の工学教育と工学研究は、どうあったらいいのか? これが本書の基準テーマである。 果たして21世紀はどのような時代になるのか? その展望がなくては、21世紀の工学ビジョンを描くことはできない。一方で、世紀末を迎えて、時代はいま激しく揺れ動いている。そのような時代にあって、21世紀はどうなるか? さらに100年後はどうなっているか? 展望すること自体が、本当に可能なのであろうか? ☆20世紀の技術は予言できたか? 20世紀はそれなりに技術を展望できた時代であった。たとえば、20世紀が始まる1901年の正月に発行された報知新聞の「二十世紀の豫言」の的中率には驚くべきものがある。二三項目ある予言のいくつかを紹介しよう。 まず「東京神戸間が鉄道で二時間半」 これは新幹線によってほぼ実現されている。 ただし二時間半と言う数字の根拠については何も説明がない。 つづいて「馬車なくなり自動車の世」「いながらにして欧州の状況がわかる遠距離の写真」「暑さ寒さ知らずの新機械」などなど。これらもすべて、現在では あたりまえの技術になっている。 もちろんおかしな予言もある。 「人と獣の会話が自由自在、下男下女は犬がつとめる」 「暴風雨は大砲により消滅」 100年前には、このような予言も同じレベルで論じられていたのである。 結局、何があたり 何があたらなかったのか。鉄道や自動車、電信電話など、当時すでに技術の芽があった交通通信技術は予測があたっている。それに対して たんなる夢であった自然との対話や制御は、100年たっても実現されていない。さらに言えば、二〇世紀になって登場した技術たとえば航空機については何も触れられていない。 ちなみに ライト兄弟による動力飛行の成功は、1903年である。 航空機技術の発展としての宇宙技術の進歩人類初の月への有人飛行にかんする予言もない。 さらにはコンピューター、遺伝子解読などについても当然ながら何ら記されていない。 ☆ 技術には時代を背景とした”旬”があった。 技術の歴史を振り返ってみると、技術には「旬」があることがわかる。 19世紀には鉄道技術、20世紀前半は航空技術、そして後半は宇宙技術の時代であった。 その一つの到達点として、月への有人飛行があった。 100年前において、すでに旬になっていた技術、たとえば鉄道技術の発展は予測できた。 一方で二十世紀になってから旬となった技術、航空技術や宇宙技術などは予言できなかったのである。 このような旬の技術は、決して時代と無縁ではない。かつての重商主義の時代は航海術によって海を制覇した国が世界を支配した。 16世紀のスペイン・ポルトガル、17世紀のオランダ、そして18世紀の英仏の抗争を経て最後に勝ち残ったのがイギリスである。そのイギリスに産業革命が起きた。産業革命は紡績、織布に代表される軽工業の機械化、すなわち第一次産業革命から始まった。これは鉄道や蒸気船などの交通革命、さらには素材革命を生みだし、重化学工業を発展 させた。第二次産業革命である。この産業革命が、政治経済体制としての資本主義、帝国主義、そして共産主義を生み、二度の世界大戦と戦後の東西冷戦をもたらしたことはいうまでもない。世界大戦を支えたのは航空機技術であり、 東西冷戦は宇宙開発戦争の形をとった。二十世紀は、空を制した国が世界を制したのである。そして最後にアメリカが勝ち残った。そのアメリカに、いま第三次産業革命とも呼ぶべき情報革命が起ころうとしている。 その技術的背景は二十世紀後半におけるエレクトロニクス技術とネットワーク技術の進歩である。 エレクトロニクス技術は、産業をエネルギー・資源集約から 知識・情報集約へとかえた。 また、ネットワーク技術の進歩は、グローバルな経済共同体としてのサイバー社会を、ネットワーク上に構築しようとしている。その意味では情報革命はたんなる産業の革命ではなく、社会の革命としての性格もあわせもっている。 おそらく二一世紀は、海や空にかわって、情報が泳ぎまわり飛びかうネットワークを制覇した国が世界を支配するだろう。それを背景に、宇宙技術に代わって、いまは情報技術が旬である。 ☆ 二〇世紀は「巨大さ」と「力」を追い求めた。 19世紀と20世紀はめざましい技術革新の時代であった。この技術革新は、19世紀において文化的にはそれまでのロマン主義に代わって科学主義を生み、一方で経済的には資本主義の変質をもたらした。 独占資本主義から、帝国主義にいたる道である。 そこでは「巨大さ」「力」がもっぱら追い求められた。 巨大資本、巨大設備、大量生産、大量流通、大量消費などの用語が、それを象徴している。この流れは、二度の世界大戦を経て帝国主義が崩壊したあとも、基本的には変わっていない。大量生産と大量消費は二〇世紀をささえた基本的枠組みであり、それにより工業は飛躍的に発展した。現代社会はそれを前提に成り立っており、われわれは その恩恵を受けて生活している。二〇世紀の技術は二〇世紀という時代の要請に応えてきたのである。 そしていま、グローバル時代を勝ち残るための企業戦略のキーワードは、相変わらず生産性向上であり、大量消費主義が世界経済を支えている。その先頭をいまアメリカがはしっている。 ☆ 21世紀は、20世紀の後始末の時代か? しかし、このような大量消費と、生産性向上に支えられた時代は、果たしていつまで続くのだろうか。かつてイギリスは産業革命によって栄光を100年延命した。同じように、大量主義主義を象徴するアメリカの時代は、情報革命によってさらに100年続くのだろうか。この問に対しては、悲観的な見方をする識者が少ない。生産と消費の量的な拡大は、有限な地球資源のもとではおのずと限界があるからである。 19世紀以降の科学技術は、生産性の向上へ向けて、もっぱら人間の能力の量的な拡大をめざしてきた。 機械は手の能力、交通機関は足の能力の拡大である。 電話やテレビなどの通信技術は耳や目の能力、さらにはコンピューターは脳の能力の拡大であると言える。これによって、人間はいわば”スーパーマン”となった。 人間の個体あたりのエネルギー消費量は100ワットにすぎない。それに対して、先進国の総エネルギー消費を人口で割ると、その数十倍に達する。これは動物でいえば象(あるいはかつての巨大恐竜)なみのエネルギー消費に相当する。もし21世紀において地球上すべての人が先進国並の生活水準を享受しようとすると、100億以上の巨大恐竜が地球上に生息することになる。はたして地球は100億もの巨大恐竜を養えるだろうか。 1972年に発表されたローマクラブの「成長の限界」はこの問に対する一つの回答を試みたものであった。その中で報告されている二一世紀のシミュレーションはあくまで限定された条件での未来予測であったが世界に大きな衝撃を与えた。 グラフにおいて左半分は20世紀である。それは基本的には右肩上がりの時代であった。一方右半分は21世紀の予測である。図によれば なんらかの抜本的な対策を講じない限り、21世紀のそう遅くない時期に工業生産は急激に 衰退し、代わって汚染が増大する。また それにともない世界人口も減少する。少なくとも21世紀は右肩上がりの20世紀のそのままの延長ではない。図はまた 20世紀における工業生産の絶対量が地球資源の減少の度合いにそのまま対応していることを示している。工業生産は、決して無から有を生みだすものではなく、結局は地球資源の消費にすぎなかったのである。 地球資源が有限である限り、資源消費型の工業生産の伸びは長く続かず、それが一時的なものであることは明らかである。もしかしたら 未来の歴史家は、20世紀はバブルの時代であったと位置づけるかもしれない。 すなわち「20世紀は地球資源を食い潰して瞬間的に繁栄した時代であり、技術がそれを可能にした。これに対して21世紀はバブルの後始末の時代であった。」と。 |