コンタックスRTS
 コンタックスRTSは、1974年にヤシカ(現・京セラ)から発売された高級一眼レフカメラである。ドイツのカールツアイス社がもともと製造していたカメラブランド、コンタックスであったが、60年代以後の日本製カメラの国際的な躍進の前に敗れ去り、カメラ製造を中止した1971年の3年後の事である。(1971年は、キャノンF−1、ニコンF2の発売された年である。これら2台を前にカールツアイス社はカメラ製造をあきらめた。)
精密機械製造技術には定評のあった、ドイツ光学機器産業界であるが、日本製カメラのコストパフォーマンスの高さには成すすべもなく敗れ去った。カメラボディー側の国際競争力は無いに等しかった訳だが、残されたレンズは相変わらず世界最高峰であった為、ボディー製造に日本メーカーの協力を求めて来たのである。当初アサヒペンタックスにこの話しが持ち込まれたようだが、自社製品との競合が免れないと判断した経営陣はこの申し出を断っている。(今となっては、よかったのか悪かったのか)そこで、カールツアイスは、ヤシカにこの話しを持込んだようである。ヤシカは歴史のあるメーカーで、技術力に問題なかったが、製品が普及機ばかりで一流メーカーと言う認識は乏しかった。
私は当時、世界に冠たるコンタックスブランドのカメラを、なぜヤシカに造らせるのかと、訝しく思ったものである。
「光学のカールツアイス、エレクトロニクスのヤシカ、そしてあのポルシェデザインによる、世界の一流企業によるコラボレーション」
なるキャッチコピーもむなしく聞こえたものである。その後の展開を先に言ってしまうと、ヤシカはみごとに今回のコラボレーションをキャッチアップ世界の一流企業(一流ブランド)の
仲間入りを果たしてしまう。ヤシカが造ったとは思えない美しいカメラは、世界中で絶賛をもって受け入れられたのである。私はこの時初めてポルシェデザイングループなる会社を知った。そしてカメラにおいて(いや、他の工業製品のおそらくほとんど全てにおいてであろう)インダストリアルデザインの重要性について思い知らされたのである。このカメラが成功したのは、優れた光学やエレクトロニクスのおかげではない。当時世界に例がない美しい外観、つまりポルシェデザインの功績と断言出来る。ポルシェデザイングループの創立者F.A.ポルシェは、フォルクスワーゲンの設計で有名なポルシェ博士の孫にあたり、世界的に有名なスポーツカーメーカー、ポルシェ社を設立したフェーリー・ポルシェの長男である。おじいちゃんから3代に渡って、天才続きと言う訳だ。
(ところで最近私は、学生時代にかなわなかったポルシェデザインの時計がまた欲しくなって仕方がないのであるが、家内を口説く事が出来ずに少々イラダッテイル!)
それまでのカメラは精密機械としての、ある種の無骨さや、気位の高さを身の上としていて、「私はあんたたち電気製品とは住む世界が違うのよ」みたいな、貴族的な格式の高さを備えていた。これらの伝統をポルシェは一夜にして葬り去ったと言ってよい。人間工学を、最大限に活用した角のとれた持ちやすいボディー、全面に精密性を出さない端正な顔立ち、どの角度から見ても気品のある3次元立体デザイン。CADを駆使した、今日のプログクトデザインの先駆者的意味合いも強いのではないだろうか。もちろん時代が時代だけに、コンピュータを使う事なくひたすらモックアップを作って、検討に検討を重ねた結果なのだと思う。それまでの前後左右上下からなる2次元図面6枚組によるデザインとは一線を画するものであった。これは考えてみると、古くからある車のデザインの手法である。このあたりのテクニックをカメラデザインに活用したあたりは、さすがポルシェと言えるのではあるまいか。これ以後のカメラは大半がポルシェの考え方(テイストは違う)でカメラを造っている。ニコンはジウジアローに知恵をかりたし、キャノンはルイジ・コラーニに相談した。私はRTSのカタログを今でも大切に取ってある。見開きのページを開けたときの驚きをともなった興奮は、今でも忘れられない。
ポルシェ911のボンネットの上におかれたRTS
こんなカタログはそれまで見た事が無い。
ゲルマン民族の誇りと魂が凝縮されて写っていた。
FAポルシェは「機能が形をつくる」と言う。
私の様な冗才にはこの言葉の持つ深層までは理解できないが、ポルシェデザインの魅了が機能のみの追及から来ている訳ではないと断言は出来る。機能のみの追及からあれほどエレガントな美しさは創造されない。ジェット戦闘機が機能美である事は認めるが、けっしてエレガントではない事でこの事は証明出来る。これは、ゲルマン民族の持っている、遺伝子レベルでの合理性、美意識とFAポルシェの育ちの良さが融合した1つの芸術品であると言う事で、とりあえずの結論としたい。
PS:初代RTSは、壊れやすくて有名なんです。したがって、中古市場にもあまりありません。
  ごくごく初期の段階では、やはりヤシカは力不足でしたよね。