古代東海道と万葉の世界

古代東海道と万葉の世界展が2011年7月20日から9月4日まで葛飾区郷土と天文の博物館で行われている。
東海道と言われて我々が一番に連想するのは新幹線であったり国道一号線であると思う、人によっては北斎や広重の描いた江戸時代の東海道を連想するかもしれない。
以上の様に東海道と言えば江戸時代に江戸幕府によって完成された概念である江戸は日本橋から京都の三条大橋までの街道と思っている方が多いのであるが実際にはそれより遥か以前、中世の時代に平城京より常陸までの道が東海道の始まりのようである。
だいたい江戸時代に日本橋を起点とした京都までの道を東海道と言うのもおかしな話でそれを言うなら西海道であろう、東海道と言うからには現在の京都すなわち平城京を起点とした東へ向かう道がルーツなのである。
中世に成立したと言われる太平洋岸の東海道は国の幹線道路として実際に人、物、情報の往来が活発で立派に機能していたのであろうか、あるいは有名無実名な形だけの寂れた道だったのだろうか。
この事を検証するには考古学的な発掘資料が雄弁である、都で使われていたものと同じ物が同じ時期に他の地域で使われている事が解れば物流が盛んな事の証明になる。
今回の催しでは都で使われた物の発掘品と現在の東京や静岡、茨木に在った国府で使われていた物との比較がなされている。
中世の古代東海道は人の往来が活発な商業道路であり軍事道路であった事が証明されていると思う。





↑ 平城宮で使われた鬼瓦

↑東北歴史博物館蔵

平城京で使われていた品々 ↑↓



↑奈良文化財研究所蔵

↑東北歴史博物館蔵

↑平城京で使われた硯

↑東北歴史博物館蔵

↑和洋女子大学文化資料館蔵(千葉県)

↑平塚教育委員会蔵 焼き物の硯

↑↓府中市教育委員会蔵





↑平塚市教育委員会蔵

↑↓東北歴史博物館蔵





↑↓東北歴史博物館蔵



↑↓ 和洋女子大学文化資料館蔵(千葉県)



   2011−8−21