木曽漆器館

木曽漆器館

木曽漆器館総合案内
江戸の昔より木曽平沢の漆器は中山道のみやげ物として人気がありました。受け継がれてきた伝統の技はもちろん、現代のライフスタイルに合わせた新しい塗り方や製品も生まれており、今もみやげ物として多くの方に喜ばれています。
木曽漆器の産地ならではの博物館。有形民俗文化財木曽漆器の製作工程はじめ、作品や資料を展示しています。

開館時間 午前9時
閉館時間 4月〜11月:午後5時(最終入館時間午後4時半)
12月〜3月:午後4時(最終入館時間午後3時半)

所在地 塩尻市大字木曽平沢2324-150

料金
大人(高校生・大学生を含む)個人:300円(20人以上の団体:1人240円)
こども(中学生以下):無料

休み 毎週月曜日・国民の祝日の翌日・12月29日〜1月3日まで
冬季臨時休館することがあります

問い合わせ 木曽漆器館
電話:0264-34-1140
楢川地区観光案内所
電話:0264-34-3160

















「木曽漆器」と「木曽平沢」の歴史
始まりは今から約600年前にさかのぼり、木曽平沢は、慶長3年(1598年)に奈良井川の左岸にあった道が右岸に付け替えられたことを契機に、周辺の山林付近に生活していた人々がその道沿いに居住することで、集落が形成されていったと考えられています。
この道は、古代・中世では「吉蘇路」や「木曽路」などと言われていましたが、徳川幕府により慶長7年(1602年)に中仙道の一部として整備されました。
このようにして成立した「木曽平沢」には、江戸時代初期に、楢川村平沢(当時は奈良井村平沢)地域で、漆塗りが行われていた家があったと伝えられており、また、この頃には檜の利用が確認されており、檜材を加工して得られる薄板、いわゆるヘギを利用してメンパ(弁当箱)などを作る「曲物」産業が徐々に盛んになっていき、檜物細工や漆器などの生産で生計を立てていくようになりました。
当初は「木曾物」と総称されていた木曽漆器も、近世後期になると「平沢塗物」の名で流通するようになりました。
さらに、明治期以降も本堅地漆器の製造技術(輪島の地ノ粉や京都の砥粉のような下地材に匹敵する粘土の探索を住民達が楢川村内で行い、下地材として活用できる粘土を発見し、これを「錆土」と名付けた。この錆土の発見は、木曽漆器の今日の降盛の大きな要因であるといえる。)を導入するなどの技術革新によって成長し、現在でも日本有数の漆器生産地としての地位を維持し続けています。
こうして木曽平沢は、近代においても漆器産業の面で全国的にも認められる産地として発展していき、近世からの建造物を残す一方、近代以降における漆器産業の発展に伴って建て替えられた建造物も存在し、これらが混在して表現豊かな町並みを構成しています。
また、漆器産業を支えてきた作業場である土蔵の残存数は100棟を超えており、裏通りから垣間見ることができる土蔵が建ち並ぶ景観は、漆器産業の町である「木曽平沢」ならではの町並みであるといえます。
こうした中で、昭和24年には、旧通商産業省より「重要漆工集団地」の指定を受け、昭和49年に制定された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」により、翌年に同省より木曽漆器が伝統工芸品に指定されました。
さらに、昭和45年に完成した木曽漆器館がはじめた、木曽漆器の制作用具や製品などの民俗文化財の収集事業によりまとめられた3,729点の資料が、平成3年に国の重要有形民俗文化財に指定されました。
参考資料
「木曾平沢−伝統的建造物群保存対策調査報告−」 
楢川村 町並み文化整備課HP 































下は南木曽の木地屋で見かけた年代物の轆轤細工。
店の人は製作年代は平安の頃と言われたが、高台の形状から私は明治時代頃と考えます、いずれにせよ古い時代の木製品に見る独特な素朴さを感じ取れます。
地元神社より発見され同じ物を製作依頼された為の参考品資料だそうです。









      2012−9−29