器楽 (きらく)

正月は雅な杯で酌みたい、紹介する杯は幕末から明治にかけて活躍した京焼の名工、永楽和全の片腕として永楽を支えた職人、器楽造である。
永楽を支える傍ら自らのブランドを冠して世に問うた作品だろうか。
知る人も少なく市場でもめったに見る事が無い、したがって価格も安い物だが新年の杯に最適であると思う。
美は多数決ではない、腑に落ちれば良いのだ。
器楽についてエドワード・シルヴェスター・モースは、「華やかな色と金とで装飾した硬質の磁土で作った。山城国(京都府)の産で、1870年(明治三)頃から起こったものと推定される」としている。
手びねりの磁器は珍しく文人文化の生きていた京焼らしい名品である。







器楽造

永樂 和全(えいらく わぜん、1823年(文政6年)-1896年(明治29年)5月7日)は19世紀に活躍した京焼の陶芸家。 千家十職の一つ、土風炉師・善五郎の十二代である。江戸後期を代表する陶芸家の一人永樂保全(十一代善五郎)の長男で、幼名は仙太郎。 十二代善五郎を襲名したのは1843年であり、1871年に息子の得全に善五郎の名を譲って隠居し、以降は善一郎と名乗った。
1852年に義弟・宗三郎(回全)と共に仁清窯跡に御室窯を築窯し、本格的な作陶活動に入った。さらに、44歳で隠居した後も加賀大聖寺藩に招かれて山代で製陶の指導を行なうなど、精力的な活動を続けた。保全の残した負債に苦しむなどもしたが、よく後代に基盤を残した。
作風は父・保全と同様、茶碗から香合、平皿など様々な作品を手掛けている。赤絵、交趾焼、仁清などの写しに優れた技量を示しているのも父と共通するところである。義弟・宗三郎など工房の人材にも恵まれ、その卓越した陶技を十分に発揮して幅広い作風の作品を残した。(ウイキペディアより)
      2013−1−1