菊正宗訪問記5

驚くべきは記念館二階の文化財収蔵庫である。

多くの物が国指定重要文化財である。

阪神淡路大震災の後遺症から今なお調査 整理中であるが一刻も早い一般公開を期待したい。

日本酒作りの歴史資料は我が国における食文化の歴史そのものであり、菊正宗の文化財産に止まらない日本の文化遺産と言える物である。












以下は菊正宗のHPより  

「本嘉納商店物語」

 

酒造業を始めたのは、嘉納治郎太夫宗徳。御影村の在郷商人(廻船業、綱元)として活躍していた嘉納家の当主が、当時の先端の製造業であった酒造業に手を広げたのが最初です。以来今日まで、343年にわたる本嘉納家の酒造りが始まります。
ちなみに、嘉納の姓については、約600年前、御影沢の井の水で酒を造り、これを後醍醐天皇に献上したところ、ご嘉納になったので嘉納の姓を賜ったとのいい伝えがあります。
『嘉納』とは、「ほめ喜んで受け
取ること」という意味です。  

 

 

歴代当主と、その襲名年

上図をクリックすると、
拡大いたします。

本嘉納商店の物語は代々の治郎右衛門の物語
現在の菊正宗酒造の前身、本嘉納商店の創業は万治二年 (1659年)、徳川4代将軍家綱の時代。当時の灘地域は、まだまだ大きな銘醸地ではありませんでしたが、17世紀末になると、いわゆる江戸下り酒の人気が、灘の酒を急速に発展させました。 なかでも特に江戸っ子に愛されたのが、造った酒のほとんどを下り酒にしていた本嘉納家の酒でした。 文政、天保、弘化年代 (1818年〜1847年)には、すでに1万石内外も醸造するようになったことをみても、他に秀でた品質が好評を呼んだからに違いないでしょう。 ことさら特別な宣伝をしたようなところもなく、ただただ品質の改善に努力し、江戸の酒問屋との信用を大切にした商取引が、需要増につながっていったと思われます。

 

沢の井

史跡「沢の井」。 創業当初は仕込水に使われていたと伝えられる。

明治期に入り、本嘉納家8代目の秋香翁が、業界に先駆けた技術改善などで、さらに品質を高め、今日の基礎を築きました。 昭和の混乱期にも、困難のなかで品質の保持につとめたことは、昭和24年に業界新聞が行った6大都市での世論調査でも明らかです。 それは「売りたい酒」「品質のよい酒」に対する調査ですが、菊正宗はいずれも3都市でトップ、総合でもトップの座を得ていることからも、酒販店も認める品質と人気の高さがうかがえます。 まさに、本嘉納家の伝統精神である「正品正価」すなわち「正しい品を正しい価格で売る」を代々守り続けた成果 であると言えるでしょう。

 


本嘉納商店の歴史

本嘉納家中興の祖『秋香翁』



お酒は20歳になってから。 お酒はおいしく適量を。
Copyright(C)Kiku-Masamune Sake Brewing Co., Ltd. 1999-2003 All rights reserved.