21世紀のモノづくり 検品をしない

 100円ショップダイソー、私のコラムでも再三取り上げているし、社会現象と言える盛況である。
 ”これが本当に100円でいいのだろうか”とこちらが心配になる程の品ぞろえで人々の心をつかんでいる。
 一方”100円で妥当だろう”と言う商品も数多い訳で、利益率にはそれなりのバラツキがあるのだろう。何かの新聞で読んだのだが、100円ショップに商品を供給するメーカーの一つである社長が言っていた。原価の平均は40円だそうである。
 驚くべき事だ。安さの秘密は中国による大量生産と思われている。もちろん理由の一つであるが、どうもそれだけではない。日本メーカーも参戦しているし、大量生産である事は確かだろうがアイテム数も多いのである。ダイソーの場合6万アイテム以上と言われ、日々増殖している。多品種大量生産、薄利多売なのである。
 話が違うが、私は80年代機械部品メーカーに勤めていた。この業界を一言で言えば”利益なき繁忙”親会社である東芝のコストダウン要請に四苦八苦であった訳だが、ダイソーもそうならないとよいと思う。忙しいばかりで利益を取れないことぐらいバカバカしい事はない。商品とは利益を出してナンボノモンだ。利益を犠牲にしてシェアを取りにゆく戦後日本の企業体質は考えものだ。
 話が脱線している様に思うが、東芝の話をもう少し。年に数回協力会社の会合に出席した。東芝幹部による今後の事業展開に関する説明会である。私の様な若造が部長の代理で出席していたのだからそれなりに評価されていたのかなと今は思う。当時は必死でそんな事すら頭をよぎらなかった。大講堂で行なわれた新年会では社長のお話を聞く事もできた。話は小難しいものだったが、一言で言えば、『TVは儲からない』これである。(私が担当したのは東芝深谷工場当時TV・VTRの生産拠点であった)1985年当時でも小型TVは原価割れの価格で売られていて、売れれば売るほど損をする状況だったのである。
 なぜそんな事をしているのか私には不思議でならなかった。今で言うOEMをさっさとしてしまえばよいのに、シェア争いが企業のプライドの一翼だったのだろう。それでも海外への生産移管は徐々に進行していて、取扱っていた部品の海外輸出もかなりの数になっていた、と記憶している。主にASEANの生産子会社へ部品を送る業務であった。OEMの様に別会社へ生産を委託するのではなく、海外とは言え自社製品であった訳だ。
 中国、韓国、台湾の企業はまだまだヒヨッ子でTVなどまかせられる状況ではなかった。1986年頃最初の韓国製電機製品が日本へ正式輸入されたのをおぼえている。サムソンの扇風機でイトーヨーカー堂で扱われた。日本製品の3分の1の価格で売られた。そこそこ売れたのだが電源スイッチに不良があり、回収さわぎとなった。苦々しい思い出の日本初上陸となった訳だ。わずか15年前は扇風機のスイッチすらまともに作れなかったメーカーが、2002年のサッカーワールドカップでは正式スポンサーとしてその名を連ねている。韓国人にしてみればまさに隔世の感なのであろう。
 中国メーカーの今日の盛況は韓国以上に信じられない、夢のまた夢以上の事なのだと思う。ドリーム・カム・トゥルー 中国の国をあげてのフィーバーぶりはいたしかたない。TV輸出で大きなシェアを獲得しつつある中国国営企業、及び中国内の日米欧企業。ただしTV製造の要、ブラウン管は2002年6月現在全量を海外からの輸入に頼っている事は覚えておいて欲しい。今の中国企業はなかなかたいしたものだが総合力(技術力)において先進国メーカーの足元におよばないのである。
 話をもどそう。低賃金、低コストのインフラ、そして大量生産、中国製品の安さの秘密である。100円ショップダイソーの超激安ぶりにはさらにもう一つ安さの秘密がかくされている。低賃金に加えて徹底した人件費の削減である。電気製品の検品はあえて一切行なわない。検品に割く人員を排除した結果の低価格なのである。
 目覚まし時計に『1%の割合で不良品があります。不良品の場合はすみやかに他の物と交換いたします。ゴメンナサイ。』みたいな注意書きを堂々と書いてしまう企業戦略が安さの秘密の最大のカギなのだ。多くの人間は常識の範囲で行動する。100円の懐中電燈がすぐ壊れたり、100円のラジオの音質が少々悪かったり、100円腕時計の精度が少し劣っていても大半の人は文句など言わないものだ。
 私は100円ショップの安さの最大の秘密はこの点にあると思う。100円だからあんなものでも誰も何も言わないのだ。そして100円だからみんなあそこまで楽しんでいるのだと思う。コロンブスの卵で後から考えるとたいした事ではないのだが、品質向上一本槍でやって来た日本企業にはこうした発想はない。そこにあえて注目したダイソーの社長は本当にすばらしいと思う。大企業に勤めるサラリーマンでは無理な発想である。全国を巡る行商だったからこそ行きついた極意なのである。