葛西城址出土の中国製磁器

葛西城とは鎌倉期に葛西氏によって築城された城である。戦国時代には北条氏の支配下に置かれ下総国への重要な進出拠点となる。その後豊臣秀吉による小田原攻めで落城、江戸時代になると青戸御殿と呼ばれ将軍の鷹狩の際の宿舎として三代将軍家光の頃まで使用された。この葛西城址が環七通りに面して葛飾区青戸七丁目にある。
環七開通に伴って昭和47年から大規模な発掘調査が行われその際出土したものが写真の中国製陶磁器である。

出土する中国製染付磁器は国産の木製品を使用する事が主流であった当時からすれば大変な貴重品であるが、中国製磁器の中では普及品と言える。明末に中国の南方で焼かれた雑器で作られた年代は葛西城が利用されていた年代と符合する、これらの磁器製品は当時の中国の重要な輸出品であった、今日でもアジア各地に大量に残存し古美術市場でも安価に入手できる。一方日本に向けた貿易船の積み荷には官窯に準ずる高級品が確認されており、こうした品が葛西城に限らず中世から戦国の城跡で出土しないのは何故なのであろうか。
いらないから、あるいは壊れたから捨てたものが多いと言うのが出土品の特徴である、すなわち出土品は日常品が多い、一方官窯に準ずるような高級品は当時から大切にされており伝世品として人から人に今日まで伝えられる、いわば意識して残された強い選択肢がはたらいている、したがって江戸城や大阪城址と言えども出土品は日常品にとどまることが多いのである。
しかしこれらの話は、今で言う県庁所在地に有るような代表的な城の話で葛西城のようなローカルな城ではそもそも官窯に準ずるような高級品が有ったのか無かったのかが問題になる。
高級品はローカルな城では使われなかったのか、あるいは過去のどこかで何者かに選択的に持ち出されたのか、結果は同じでも両者の意味するところは大きく違う。






























   2016-6-14