カメラは高い
VTRが1万円以下で販売されている時代に世のカメラ達はなぜこうも高価なのだろう。
私が中学生であった25年前、銀座ソニービルに展示してあった ベータカムは50万円以上していました。TV番組を録画保存出来ると言うだけの物だったが、当時は夢の様だったのです。ビデオカメラの普及はずっと後だった(10年後)から本当にTV番組を録画する為だけに(レンタルビデオ店なんてなかった)当時の金額で50万円以上出す人がいた事になります。このVTRもあっと言う間に量産技術の波に洗われ私が20才の時 手にいれたシャープのVTRは15万円位だったように記憶します。それから数年でついに10万円を切り、今から10年前には5万円を切りました。そして家電量産店 コジマ電気の登場です。新規開店での目玉は9.800円のVTR、3年程前の話です。そしてついに今年は4,900円。
デフレ経済の象徴の様な話です
技術革新(この場合は量産技術が)あっての話ですから昔言われたデフレとは多少意味が異なるでしょうが物を安く多量に作りすぎて売れ残り、在庫圧縮の為更に値下げるのだからもうこれはデフレ症状です。
ここにおよんで低コスト体質の中国の影響力はますます大きくなっています。元々は技術移転による日本の工場の流出ですから自分でまいた種と言えますがもはや日本の製造業の空洞化はさける事が出来ません。
繰り返しになりますが、元々日本の企業が自ら行った事なのです。
VTR製造は、きわめて高い機械加工技術によって実現した事は以前このコラムで述べています。民生用の電気機械ではおそらく最も高度な加工を要する製品の一つでしょう。このVTRが今安値の目玉である事にまずは無条件に
驚きを感じてしまうのです。
だからこそ目玉商品になりえるともいえますが。
この5.000円そこそこのVTRの利益率がどの程度のものなのか部外者である私は知るよしもありませんが、一般的な電気製品の原価率は、20%程度と言われていますから、単純計算でこのVTRの製品原価は1.000円と言う事になります。どうですか、驚きでしょう。
こう考えると、本当に5.000えん位で売られているVTRはありがたく思えます。30数年前の最先端技術が時をへて 昇華され今や季節ハズレのスイカと同じ値段なのです。これは電卓にもあてはまる話です。最初期の電卓は当時の価格で100万円位したそうですがいまや100円ショップの目玉なのです。さて カメラはどうでしょう、ライカ一台 家一軒などと言う 神話が残っていますがこれは終戦直後の極端な物不足に落ち入っていた頃の特殊な事例です。カメラ不足に悩んでいた新聞社が相手の言い値で買い上げた時期があったのです。同時に当時は家の価格が今では想像出来ない程安かったと言う事と、この話には土地の値段までは含まれていないと言う事も理解しておく事が必要です。それでもカメラは今よりはるかに高価な物で、昭和30年代位まではほぼ車を買うのと同じ感覚であった様です。(ライカ、コンタックス、ニコン、キャノンの上級機種の話ですよ)こうしたカメラ達も1980年代以後の電子化によって随分、買いやすくなりました。今ディスカウント店では使いやすい普及機が4万円前後で売られています。やすくなったものです。
しかしどうでしょう 前出のVTRや電卓に比べて劇的であると言う程のものではありません。
私が カメラは高いと言う理由はここにあるのです。
これにはいくつか理由があると思われます。
まず第一に 海外に競争あいてがいないと言う事が大きいでしょう。
もう一つは ブランドイメージが想像以上に幅を利かす商品なのだと思います。
これは腕時計にも言えることですが 今や両方共に電気製品なのですから スケールメリットが生きる製造業であるにもかかわらず、かつて松下電気やサンヨーが参入を試みて 失敗したように消費者が保守的な商品分野なのです。
物はたいして変わらないのに有名料理店で食べる天ぷらが旨いと言うのと同じ事です。したがって安くしすぎればかえって売れない特殊な業種と言い替える事も出来ます。ライカなどあんなローテクが20万円もするのですよ。しかも消費者のほとんどがそれを高いとも感じない、なんとも不思議な世界です。(そういう私はライカの大ファンなのですが)これはもう単純に工業製品として語ったら本質は見えて来ません。工業製品と言うにはあまりにも時代遅れで高価すぎます。これはもはや工芸品なのです。性能うんぬんは二の次、ライカにとって一番大切な事それは美しい事なのです。この美しさと35ミリフィルムカメラの家元であると言う伝統に本当の価値があるのです。こう考えれば箱の有無 箱書きの有無(保証証や輸入証明書)によって、価値が著しく変化する事にも納得がいきます。腕時計でもそうですよ時刻を知りたいなら カシオのデジタルで充分です。数百万もする性能の悪いしかも重たい時計を皆が欲しがるのは、もはやそれが工業製品ではないからなのです。