堀切まち歩き

葛飾区文化財保護推進委員の高田さんのはからいで堀切の町を散策しました。
浮世絵にも描かれた堀切菖蒲園を皮切りに江戸下町の歴史に触れます。









江戸の昔から憩いの場所、堀切の菖蒲園、今は御覧の場所しか残りませんが明治時代まではここ以外に数か所あったそうです。
文字通り低湿地帯の江戸下町堀切は菖蒲が似合う町。





極楽寺 1449年紀伊根来寺普済亜閣梨の創建。



境内には女人橋の石材が移築されています。
出産で亡くなった女性の供養に為の造物と言われています。



庚申信仰の碑、中央は青面金剛、下は見ざる言わざる聞かざる。庚申信仰では猿が青面金剛の使いとされています。

いぼとり地蔵、堀切に住んでいた長介に由来するお地蔵さま、かけてある塩をいぼに塗るといぼがたちどころに治るといわれている。
地元の人たちの多くがいぼが治った思い出がある。

江戸時代に年貢米を保管した蔵、区の文化財に指定されている。



堀切小学校の校庭にあります↑
昔、八幡神社があり洪水の際に流され深川八幡宮の地に留まったと言われています。真意の程はわかりませんが悠久の歴史を感じる面白い言い伝えです。

妙源寺 1304年天目上人創建。本尊は三宝祖師。本所番場町にありましたが関東大震災の折、堀切に移転してきました。
団十郎や東條一堂の墓があるのもそうしたいきさつからです。





成田屋の三文字でピーンときた方は相当な歌舞伎通、そうです九代目団十郎の墓、三枡の家紋が歴史を感じます。



石造題目塔





東條一堂の墓

安積良史斉の墓、二本松藩安曇野国造神社宮司の子として生まれ17歳で江戸に出て佐藤一斎等に学び神田駿河台に塾を開き多くの弟子に影響を与えました。↓

最後に堀切菖蒲園の売店で売られていたお土産。
ブリキのおもちゃのまち葛飾、私が子供の頃は街のあちらこちらでプレスの音が響いていました。
そこそこ大きな工場から父ちゃん母ちゃんの町工場まで大企業の孫請けか、あるいは写真の様な駄菓子屋で売られるおもちゃ屋さんのだったのか。
今は昔のふるさとの思い出をストラップで形にしています。

   2016-6-5