フェド5B
 フェド5Bはタイムマシーンだ。なつかしいカメラなのだ。感覚を40年前にタイムスリップさせる。40年前だと私は1歳だから、この時代にノスタルジーを感じるのは、一種の錯覚で、後年なにかしらの体験によって刷り込みが行なわれた結果だろう。
畑違いな話だが、一番これを感じるのはSPレコードの音色である。私は今だかつて一度もSPレコードの音を生で聞いた事が無い。にもかかわらず、映画やドラマでこのSPレコードの音を聞くとなつかしさがこみ上げてくる。いったいどうした訳なのだろう。もしかしたら前世でこのSPレコードを開発したのは、私なのではないかと思っていたら、他の人も皆、同じだと聞かされてガッカリした。
話が脱線した。フェド5Bの元封を解く。古びたダンボールのカスがあたりに飛び散った。のり付けされた白紙の帯は、わずかな力で簡単に破れる。黄ばんだわら半紙に相変らずの活版印刷で2色刷りの説明書が出て来る。1998年製造らしい。我々の予感を40年近く裏切っている。
実際、事情を知らない誰かに、
「これ押入れの中から出てきた、40年前のカメラだよ。」
と言ったら、100%信じるだろう。カメラの入っているビニールを破る。この辺は現代風だが、このアンバランスに誰も気付かない。乾燥剤が出てきた。なんと布製の手縫い袋に入れられている。乾燥剤を入れて上部を茶巾袋の様に麻ひもで結ばれた物だ。渋い、渋すぎる。遠い昔どこかで見たよな、これ。手造り乾燥剤、ほしい人は今がチャンス。いくらウクライナでもこんな事はいつまでも続かないでしょう。いよいよカメラのお披露目です。乾燥剤と同じで40年前の設計。他に言う事無し。でもレンズは素晴らしいですよ。50mm F2.8テッサータイプなんですが、今の物に遜色がないです。絵にキレが有ると言う点では、今の物以上。光学機器は、兵器でもあるのでこのあたりは軍事大国だった、ソ連の面目躍如。ボディーの設計が古くてもレンズさえ良ければ写真は撮れるものね。ソ連にとって、カメラ製造は兵器感覚なのだと思います。その証拠に、製造された数量たるや西側のカメラメーカーとは桁違いです。一つのブランドフェドだけで、ライカの総数を3倍上回ります。さらにソ連にはフェド以外にも、多くのカメラメーカーがあるのです。
話が違うのですが、数日前テレビでソ連製の有名な機関銃のカラシニコフの話をしていました。AK47の名称でベトナム戦争時に米軍MIの前に立ちはだかったあの名品です。構造がシンプルで壊れにくく、製造が簡単な為世界中でコピーされました。本家ソ連製の本物で3000万丁。コピーを含めると全世界で3億丁も造られ、今も使われています。アフガニスタンゲリラの愛用品でもあります。アフリカのゲリラも、ベトナム軍も、中国の人民解放軍もみんなAK47、隠れた一流品と言う訳です。この話を聞いて、私はライカを思い出しました。ライカもその造りやすさと、堅牢性から世界中でコピーされ、フェドもその一つなのです。ただし先に述べた様に、生産量では本家ライカを追い抜き、東側諸国全域で使われたと言う点で、AK47的道を歩んだのです。ソ連製カメラすべてから漂う、西側製カメラとの物腰の違いは、耐久消費財か兵器かの差なのです。