駄菓子屋
 先日大江戸線の勝どき橋駅まで用があって、都営浅草線、蔵前駅で下車した。蔵前駅は大江戸線との連絡駅とされているのだが、これがとんだ嘘ッパチで改札を出てから一旦外へ出なくてはならない。地上の一般公道を3分程歩き、ようやく大江戸線である。私が蔵前駅で降りるのはたぶん初めてである。子供の頃は覚えていないが、もの心付いてからは初めてである。この町は駄菓子屋の問屋街になっているらしい。大江戸線までの数百m5軒の問屋が軒をつらねていた。どれもこれもなつかしい。私はついつい道草をくってしまった。駄菓子屋で扱う子供のオモチャは私が小学生だった頃からあまり進歩していないようである。テイストにまったく変化がない。生産国が日本から中国に移っただけと言ってもよいのではないか。
 そんな中に現代ならではの物を見つける。何が当たるかわからないドキドキのクジなのだが、なんとその商品はすべてデジタル時計なのである。1等から30等まであり、6等まではかなりリッパなカシオ製デジタル腕時計Gショックのコピー物である。残る24個分はキーホルダー型のデジタル時計なのだが、そのチープな作りとキッシュな色あいが、いかにも駄菓子屋にある子供のオモチャ風で欲しくなってしまった。30個分で2,000円である。単純に割算すれば、1個66円。実際に店頭に並ぶ時はクジ1回100円だそうである。デジタル腕時計も来る所まで来た。
 私は腕時計を日本橋の高級百貨店で買う時代を知っている。たまの日曜日に家族で三越に出掛ける時は、全員がオメカシをした時代である。たいてい地下の大食堂か最上階の洋食屋で、スパゲティーかハンバーグ・ライスを食べて帰路につく。親達がなにを買っていたのかまったく記憶にないから、きっとひやかしだったんだろう。それでもたまに一大決心をして、時計やら洋服を買う、そんな時代だ。(腕時計は高級、高格品だったのだ。)
 大型ディスカウント店の登場で時代は一変する。百貨店や高級専門店で時計を買う時代は終わった。新宿西口ヨドバシカメラの盛業は今でも忘れられない。黒山の人だかりとはあの事を言うのだ。私が中学生の頃である。以後日本中に次々とディスカウント店が出現する。キムラヤ・ビックカメラ・さくらやなど大手から、都心のビジネス街には小型のディスカウント店が乱立する。
 90年代になると郊外型の超大型店も参入する。ヤマダ電機やコジマなどである。これらはデフレ要因であるとまで言われた。100円ショップに目覚まし時計や腕時計が並ぶ様になって5年になる。新しい業態、新しい流通業者が現れるたびに売値を下げる、腕時計。そして今年、ついに駄菓子屋の店先に並ぶのである。1960年代後半、世界に先駆けて、クオーツ腕時計の開発に成功したSEIKOの技術者達。高級、正確無比な腕時計としてスイス製をことごとく駆逐世界のSEIKOへと脱皮した。(1970年代それまでのスイスを代表するブランドオメガ、ロンジンなどの他、大半のスイス時計メーカーが廃業に追い込まれる。今日再興しているオメガなどのブランドはかつてのオメガとの技術的、経営的連続性は無い)
 私は当時の技術者に是非聞いてみたい。当時は、今日のこの状況を予測していたのだろうか?今日のこの状況をどの様に感じておられるのだろうか?あの血のにじむ様な努力はなんだったのかと肩を落とすのか?いやいやここまで広く全世界に腕時計が普及したのは(それが中国製であろうと)我々の技術と胸を張るのか?