キャノネット
1961年、キャノンは同社初の普及機キャノネットを発売した。高級カメラメーカーの雄が、満を持して発売するレンズシャッター機で、そのコストパフォーマンスの高さから、熱狂的に市場に受け入れられた。このカメラは当時としては、桁違いの生産量を記録して、一時代を築いている。戦後乱立した、中小のカメラメーカーは、1回目の市場淘汰の波に洗われ、多くのメーカーが倒産のうき目に会っている。優秀な性能をそのままに、最高のブランドを背負ったカメラが破格の安価なのだから、技術と資本力の無いメーカーはたまったものではない。
市場における同社の優位性を誇示するかのような、容赦無い販売戦略。売れる事を確信しているかの様な、用意万端整えた上での販売。事実、爆発的に売れたにも拘らず、欠品させる事の無い生産体制まで整えた上での発売であった。
あまりの一方的な勝ち戦に、同業他者まで負け組に対する同情の声がきかれた程であった。製造技術におけるユニット化、モジュール化を最初に意識的に採用した、初の製品ではあるまいか。市場調査、設計、製造、販売の4部門が、有機的に連携した、文字通りの戦略商品であり、このような今日的経営戦略の初の快挙と言える。そしてこれ以後、同業他者を襲った、市場再編を予測していたと言う点でも、戦略的と言えるのである。解りやすく言えば、腕時計のローレックス社がブランド名をそのままに、一万円台の製品を発売するような物と言える。これが売れない訳がない。
昨今のお宝ブーム、素人相手の情報誌に感化されている頭脳の持主から見れば、この様な戦略は愚行と映るかも知れぬ。言語道断、絶対に有りえぬ事と一笑に付するかも知れぬ。しかし戦後50年間、日本のメーカーはこの様な事を繰返し行って来た。そしてこの事こそが、今日の経済大国日本、技術立国日本の礎となっている事を、忘れてはならない。キャノネットは海外でも話題となり、大量に輸出された様である。そして冷戦下における世界中の米軍PXにも多量に売れた。光精堂の主人によると、沖縄PXにおいても、キャノネットは売筋であった様だ。
ただここで店主は、キャノネットの知られざる欠陥を指摘する。キャノネットのレンズシャッターを製造したのは、コパルなのだが、このシャッターに使用されている潤滑油が、真夏の沖縄では溶け出して、シャッター羽根に練り付き、作動不良をおこすと言うのである。100台近くの大量在庫が、PXから光精堂に持ち込まれた。友人と2人で分解掃除が行われて行く。良い稼ぎになった様だが、代金がキャノンに請求されたのか、PXの泣き寝入りとなったのか、今でも気になると言う。後日、コパルはシャッター羽根に独自の工夫を凝らし、この問題は早急に解決された。