足利学校

今年のシルバーウイークは足利市に遊びに行きました。
古伊万里の収集で有名な栗田美術館の訪問が目的ですが、ここまで来たら有名な足利学校も訪れたい。
実のところ地域の旅行で10年以上前に一度訪れている足利学校ですが、この時は落雷で焼失した本校舎を復元したばかりで新品同様、史跡と言う感じではなかったのですが十数年の歳月は足利学校を見事な史跡に変えていて雰囲気満点でした。
復元された建物は江戸時代の学び舎であり士族の師弟のエリート校だったはずの足利学校、江戸の町に多かった寺子屋とは趣を異にしていて国政を憂う上流階級の獅子達の息吹が感じられます。






















足利学校公式HPの解説
足利学校は、日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は大正10年に国の史跡に指定されています。
足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439)関東管領・上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからです。
足利学校は、応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、学問の灯を絶やすことなくともし続け、学徒三千といわれるほどに隆盛し、天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。
江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年に幕をおろしましたが、廃校直後から有志による保存運動が展開されるなど、郷土のシンボル、心のよりどころとして足利学校の精神は市民の中に連綿として生き続け、平成2年の復原完成へとつながり、教育の原点、生涯学習の拠点として、新しい学びの心の灯をともしています。
   2015-10-24