1998年
1998年のPC関連雑誌”ワイアード”が出て来た。
ここに面白い記事がある。
「21世紀を生き抜くための12の法則」ネットワーク社会が生み出す様々な価値の変化を予測している。
わずか4年前のものだが、ITバブル直前の夢にあふれた時代であったと懐かしい。
未だに色あせない部分と既に昔の話となった部分とがある。
ITバブルが崩壊するなど夢にも思わない時代である。
しかし、本記事が指摘するネットワーク社会そのものは指摘の通り発展し、今日さらに夢多き時代になっている。と言えるだろう。
更に、日本が世界に先行した、デフレ経済の説明(解釈)にもつながり、今読んでもなかなかのものと感心してしまった。

21世紀を生き抜くための12の法則
最近は「デジタル革命」という言葉をメディアで見かけない日の方が珍しい。そうした急激な変化の裏で、着実にテクノロジーを動かし、われわれの生活に欠かせない様々な要素を変えてしまうような、ゆっくりとした変化がおきている。すなわち「ネットワーク経済」の誕生である。
 今、生まれようとしているこの経済は、われわれの社会の構造的変動の表れであり、そんれは、単なるハードウェアやソフトウェアがわれわれの生活に与えてきたどんな影響よりも大きい。この経済は、従来の経済とは違った新しいチャンスを生み、独自の新しい法則を持っている。新しい法則に則って動く者は成功し、そうでない者は敗退するのだ。
 過去百年間、我々は常に情報の増大という状況にさらされてきた。情報産業界で成功した企業が情報資本を基盤にしてきたのは確かだが、情報の全面的な再構築が全体的な経済に変動をもたらすようになったのはごく最近のことだ。
 極めて皮肉なことに、現在は既にコンピュータの時代ではなくなってしまっている。スタンド・アローンのコンピュータがもたらすであろう変革のうち、重要なものは既に出尽くしてしまった。コンピュータは我々の生活のテンポを若干速めてくれたが、それ以上のものではなかった。
 それに対して、現在登場してきている有望な新技術はすべて、コンピュータを介したコミュニケーションに関わるものである。コミュニケーションは文化の基礎をなすものだから、このレベルでの模索は重大な意味を持っている。我々は今、「生物・非生物を問わず、コミュニケーションを増大させ、改善し、拡張する」という壮大な事業に取りかかったところなのだ。
 この世界的な構造変革を支配する法則には、以下に述べるように、中心となるいくつかの回転軸がある。しかし、ネットワーク経済の登場は人類の歴史の最終的な到達点ではない。変化の速度を考えると、この経済が存続するのも1〜2世代の間ではないかと思われる。
ネットワークが我々の生活の場の隅々まで浸透するようになったとき、従来とは全く違った新しい法則が経済世界を支配するようになるだろう。従って、これから述べることは、過渡期おける指針と考えていただきたい。

 1.接続の法則「無力のパワーを重視せよ」
 シリコンチップというミクロコスモスの崩壊、そして接続によるテレコスモスの爆発的な拡大という2つの現象が手を携えて「ネットワーク経済」を推し進める。この急激な変化によって、旧来の富の法則が無効になり、新しい経済が登場する舞台が整うのである。
 シリコンチップのサイズが顕微鏡でないと見えないくらいに小さくなると同時に、園価格も非常に廉価になっていく。サイズの縮小とコストの低減によって、人間が作り出すほとんど全てのものにチップを載せることが可能になる。ここで重要なのは「全てのもの」という点だ。
 現在、全世界には2億台のコンピュータが存在している。インテルのアンディーグローブが喜々として報告してくれたところによれば、この数は2002年までに5億台にもなるという。しかし、コンピュータ以外の場所で働いているチップの数は60億個といわれ、桁違いだ。自動車やステレオ、炊飯器などに内蔵されているこうしたチップは、安価に大量生産できることから、業界では「ジェリービーンズ」と呼ばれている。
 人間は、自分たちの思考の断片をチップという形で生産物の中に組み込んでいくと同時に、それらを互いに接続していく。据え置き型の機器はケーブルで接続され、それ以外のあらゆる製品も、赤外線や電波で接続される。したがって、有線ネットワークが生み出されだろう。接続されたここの品物が、大量のデータを送り出す必要はない。例えば、牧場では、水タンクの内側に小さなチップを貼り付けて、水が満タンかどうかだけを電波で送信すればよいのだ。
 幸いなのは、こうした小さなチップは人工知能を持つ必要がないことだ。ほんの数バイトの、それだけでは全く無力なデータが、互いに結び付けられることによって、力を発揮する。無力な濃度を有能なネットワークに結びつけるとき、人間はこの「無力のパワー」を手に入れる。これは、単独では無力なニューロンがお互いに結びつくことによって機能しているのと同じだし、独立していればガラクタ同然のパソコンが相互接続することによって巨大なインターネットを作り上げているのにも似ている。PCはいわば、プラスチックの箱に収められた一つの神経細胞なのである。無力なパーツが、正しく接続されることによって、自分とは別の領域で力を発揮し、大きな能力を示すことになるのである。
 これらの無数のチップが互いに接続され、活気ある知性を作り上げる。これがハードウェアであり、「ネットワーク経済」とは、このハードウェアに乗って動くソフトウェアの経済なのである。互いにリンクされたチップたちは、絶え間なく小さなメッセージを送り出す。こうしたデータが全て、怒涛のようにウェヴに流れ込んでいくのだ。
 MCIによれば、3年後には、全世界の電話回線を流れるデータトラフィックの総量が、音声トラフィックの量を超えてしまうという。この経済には数十億人の人間に加え、様々な品物、マシンなどが参加してくる。インテリジェントシステムを作るのに、人工知能の出現を待つ必要はない。チップの遍在による無力のパワー、そして徹底的な接続によって、人類はインテリジェントシステムを作ってしまうだろう。
 こうしたことが全部すぐに実現するわけではないが、その方向に向かっていることは明らかである。さらに、膨大な接続状態を作り上げるには分散された力を利用すること、つまり端末部分をリンクさせることが最も確実な方法だろう。例えば、丈夫な橋を作ろうと思ったら、橋の部品同士がコミュニケーションを取れるようにする。飛行機の運航を安全にしたいなら、飛行機同士が連絡を取り合って、それぞれ最適な飛行経路を取れるようにすればよい。ネットワーク経済では、無力のパワーを重視することが大切だ。

2.充満の法則「大衆化は価値を増す」
 あらゆる物が結びつけられるとき、奇妙なとこが起きてくる。数学者達が証明した通り、ネットワークの価値の総和は構成員の二乗に比例して成長する。言い換えれば、ネットワークのノードが算術的に増加する時、ネットワーク全体の価値は指数関数的に増加するという事であり、わずかな構成員の増加がすべての構成員にとって劇的な価値の増大をもたらし得るということなのだ。
 ファックスが最初に販売されたのは1965年の事だった。ファックスの研究開発には何百ドルもの資本金が投入されたはずだが、最初の1台の価値はゼロ、まったく無価値なのだ。その直後、2台目が世に送り出された時点で初めて、最初の1台が一定の価値を持つようになる。ファックスを送る相手が存在するようになるからだ。ファックスはネットワークに接続されるものだから、工場でファックスが次々と生産されるにつれて、既存のすべてのファックスの価値がそれだけ高まる事になるのである。
 このネットワークの価値は非常に強大で、ファックスを購入した人は決まってファックス・ネットワークの伝道者になってしまう。相手にファックスを買ってもらえば、自分のマシンの価値がそれだけ高まるからだ。その相手も、いったんマシンを購入してネットワークに加わってしまうと、また伝道者になる。これはファックスに限らず、電子メールなどのソフトウェアでも同じだ。他人を説得してネットワーク参加者としての自分の価値も高まるからである。
 この例をみても分かるように「品物の数が増えれば増える程、品物の価値が高まる」という事になるが、これは工業化時代に通用すると考えられてきた二つの原則に真っ向から対立する。
 その一つは、「価値は希少性から生まれる」という原則。ダイヤモンドや金、石油、学位などは珍しいから価値があるのだ。
 もう一つは、「品物が大衆化した時、その価値は下がる」というもの。高級なカーペットも、機械織りで何千という単位で生産されるようになったら、ステイタス・シンボルにはなり得ない。
 ネットワークの理論は、こうした工業化時代の教訓を全く逆転させてしまう。ネットワーク経済においては、価値は品物の「充満」によってもたらされる。ファックスは「どこにでもある」からこそ価値があるのだ。
 将来は、あらゆる工業製品が「充満の法則」に従うようになるだろう。コピーするコストが急落する一方で、製品を開発し、製造し、流通させるネットワークの価値が大きくなっていくからだ。
 ネットワーク経済においては、限界費用の縮小によって希少性が意味を失う。ソフトウェアに限らず、コピーのコストがきわめて小さくなってしまえば、企画とネットワークの価値が急増するのである。

3.指数関数的価値の法則「成功は非線形だ」 
 現在巨大な利益を上げているマイクロソフトの収益の推移を見てみると、ネットワーク経済で成功している他の企業と同じ傾向が認められる。最初の十年間、マイクロソフトの利益は取るに足らないものだった。それが、他を圧倒した成長を店得るようになるのは85年頃の事である。しかも、いったん上昇に転じてからは、爆発的に増加する。
 フェデラル・エクスプレスも同じような経緯をたどっている。80年代初期に堰を切ったように、急激な収益の上昇をみせた。
 同様に、ファックスの普及の経緯をたどってみると、「20年の潜伏期間を経た後で一夜にして成功を収めた」と表現したくなる。発売されてから20年もの間、ほとんど取るに足らない成長しか見せていなかったファックスの数が、80年代の中頃に、人知れずあるポイントを超えた。
 そして、ネットワーク経済におけるこの種の爆発的な成功の典型が、インターネットである。メディアの花形になるまで20年以上もの間、インターネットは文化的には周辺的な存在だった。60年代に最初のホストが設置されてから、長い間全世界のホスト数のグラフはほとんど横這いだったのに、91年頃に突然、雨後のタケノコのように干すとが設置され始め、世界を制覇するような勢いで急激な成長をみせたのである。
 こうした比直線的な成長は、指数関数的成長の古典的なパターンである。生物学者は皆知っている事だが、このような成長は、生物学システムの最も基本的なパターンなのだ。ネットワーク経済は生物学用語で説明するのが適切な場合が多いが、ここにもその理由のひとつがある。実際、ウェヴが先鋭的な現象と感じられるとすれば、それは歴史の中で初めて「テクノロジーによるシステム」が「生物学的な成長パターン」を示しているからなのだ。
 以上述べた4つの例はそれぞれ、ネットワーク経済の古典的なモデルとなるものである。これらの成長は、「参加者の増加につれて価値が指数関数的に増大し、その価値の増大がさらに多くの参加者を招く」という、ネットワークの重要な法則に基礎を置いている。この好循環は、参加する可能性を持ったすべてのメンバーが加わってしまうまで拡大を続けるのだ。
 しかし、こうした例では、なぜ、80年代の後半以降にならなければ爆発的な成長が始まらないのかという点がわかりにくい。その時点で何かが起こったはずだ。それは、「ジェリービーンズ」と呼ばれるチップが安価で大量に供給されたことと、通信費の急激な下落である。ここでネットの核が次第に形成され始め、巨大なネットワークに成長する準備が整ったのである。
 現在は、好循環による生物学的な急成長がいくつも期待される時代に突入している。反対に、相乗的に働いてネットワークを短期間に急成長させる力が、その逆の方向に向き、あっという間にネットワークを解体してしまう可能性もあるということを付け加えておきたい。始まりは小さくとも、結果が甚大な影響を与えることがある一方で、大きな障害があってもあまり大した影響は与えない。ネットワーク経済において、成功は非線形なのだ。

4.臨界点の法則「勢いよりも意義が先」
 これらネットワーク経済の経緯を振り返り、指数関数的な成長カーブを点検してみると、成長に弾みがついて手がつけられないような成功に向かう前に、ひとつの転換点があることがわかる。その時点では、成功がいわば「伝染性」のものとなり、感染していない人間が抵抗できないほど蔓延してしまう。
 病気が感染者を増やしていって、ただの病気から流行病へと移行する点のことを、疫学では一種の「臨界点」と考えている。感染症の勢いは、その点を越えると手がつけられないものとなり、逆にその点より下になれば衰える一方となる。
 一般産業界でもネットワーク業界でも、ある点を超えてしまえばほぼ自動的に成功が待っているという臨界点が存在することは同じである。しかし、ネットワーク経済では固定費が低く、限界費用もほとんど重要性を持たず、流通に要する時間も非常に短くなるから、工業化時代と比べて臨界点がかなり低くなる。初期投資が比較的少なくても、圧倒的な優位を勝ち取ることが可能になっているのである。
 臨界点が低くなっているということは、つまり臨界点以前の動きや成長、革新などが重要な意味を持つ時点も、工業化時代と比べて非常に低くなっているとみなければならない。有意限界に達する以前にそれを察知することが必要になるゆえんである。
 過去においては、革新によって勢いがつけられることが意義を生み出した。しかし現在のネットワーク環境においては、意義が先行し、それが勢いをもたらすのだ。

5.報酬拡大の法則「好循環を作れ」
 ネットワーク経済の第五法則は報酬拡大の法則として知られる。参加者の増加が価値の急上昇を呼び、それがさらに多数の参加者を招くという相乗効果である。
 報酬拡大の法則は、教科書的な工業化時代の「規模の経済」の概念をはるかに越えるものだ。「規模の経済」の枠組の中で、たとえばヘンリー・フォードは、生産性を高める手法を開発することによって、自動車の販売数を増やすことに成功した。これによってフォードは安い価格で自動車を売れるようになり、さらに規模を拡大させる。そのことがさらに革新と生産性の向上を呼び、フォードの会社をトップ企業に押し上げた。報酬拡大の法則と「規模の経済」は、相乗効果による好循環を基礎としている点は共通しているが、前者がネットワークのパワーによって推移されるのに対し、後者はそうではない。第一に、「規模の経済」では、価値の増加は直線的であるが、ネットワーク時代の第一法則では指数関数的な価値の増大をみる。
 もうひとつさらに重要な事がある。「規模の経済」は、ひとつの組織が競争相手に勝つために超人的な努力を傾注し、価値を生み出すことによって成立する。トップ企業が開発した技術は、その企業だけのものになる。これに対してネットワークでは、ネットワーク全体が価値や報酬を生み出し、共有するのである。無数のエージェント、ユーザー、競合企業が手を携えてネットワーク価値を創造する。「拡大する報酬」の実際の配分は企業によってさがあるかもしれないが、創造された価値はネットワークに帰属することになるのだ。
 同様に、シリコンバレーで生み出されている「拡大報酬」も特定の一企業の成功によるものではない。シリコンバレーは実質的に、分散されたひとつの大企業と化している。そこで働く人々は、特定の会社というよりも、先端的なテクノロジーあるいはシリコンバレーという地域に対して、より強い帰属意識をもっていのだ。これからの時代は、企業の従業員と消費者がともに、特定の企業よりもひとつのネットワークに対して強い帰属意識をもつような時代である。シリコンバレーが実現させた真に偉大な革新は、ハードウェアなどにあるのではなく、シリコンバレー企業組織にあるのであり、さらに重要な事は、この地域そのものがネットワークアーキテクチャをもっていることなのである。頻繁に職場を変えることによる複雑な職歴、仲間との親密な付き合い、企業同士の情報の漏洩、企業の寿命の短さ、そして電子メールによる機敏な文化交流などである。このようこのようなウェブ状の社会構造が、「ジェリービーンズ」チップと「銅製ニューロン」のハードウェアに生気を吹き込むとき、本当のネットワーク経済が誕生するのである。
 報酬拡大の法則では、先手必勝である。ネットワークにパワーを与えている初期パラメーターは、たちまち変更のきかない規格になってしまう。ネットワークで規格が固まる事はよい事でもあり、悪い事でもある。事実上の協約ができ、拡大報酬の流れが妨げられることがないのは利点であるが、規格を所有しコントロールする立場の者に不相応な収益を与えるというデメリットもあるからだ。
 しかし、ネットワーク経済では一人勝ちはあり得ず、常に他者の存在がなくてはならない。マイクロソフトが何十億ドル儲けても許されるのはマイクロソフトが作った規格によって報酬拡大の流れが確保されたおかげで、ネットワーク経済の中のほかの企業が、合計すれば、似たような規模の収益を上げる事ができるからである。自分が持っている知識をネットワークに提供し、可能な限り広範囲の参加者を求め、抗環境が生まれるようにする事が大切なのだ。そこでは、各国の貢献がすべてメンバーに共有され、利用されることになる。
 ネットワーク経済においては、好循環を作ることが重要なのである。

6.価格逆転の法則「安い物を先取りせよ」
 工業化時代は、品物の品質が少し向上すると価格も若干高くなるのが普通だった。しかし、マイクロプロセッサの登場によってこの方程式は逆転してしまう。情報化時代になってからは、ある程度の期間待っていれば劇的に品質が向上し、しかも価格は安くなるという期待を消費者が持つようになる。価格と品質のカーブが見事に逆コースを描くようになってしまったので、場合によっては、品質がよくなればなるほど価格は逆に安くなるようにおもえることさえある。
「摩擦なき経済」の著者テッドルイスはこのような逆転現象がコンピューターチップによってもたらされたと指摘する。エンジニアたちは、コンピューターがもっている最高の能力を直接・間接的に役立てて、次世代の改良型コンピューターを生み出してきてた。このように人間の知見を蓄積することで、従来より少ない素材でより性能の高いものを作ることがでくるようになったのである。自動車や衣料、食品に至るまで、チップの応用分野すべてで同様のことが起こった。小型化するチップは、ジャストインタイム生産システムを導入したり、相当のハイテクを要する生産を安い地域へ外注化することも可能にした。このため、製品の価格はさらに下がる事になったのである。
 一九七一年の誕生以来ほとんど常に、マイクロプロセッサは価格の逆転現象の中で育ってきた。そして、今、テレコミュニケーションも、「十八ヶ月ごとに価格が半分になり、性能が倍になる」という、マイクロプロセッサが進んできたのと似たような道をたどろうとしている。テレコミュニケーションの場合は、さらに過激なことになるかもしれない。ネットにおける法則は「ギルダーの法則」と呼ばれている。急進的なテクノロジストであるジョージギルダーが「予測可能な将来、コミュニケーションシステムの総伝送容量が十二ヵ月ごとに三倍になる」と予測しているからである。
 通信パワーの急拡大とジェリービーンズノードの小型化・低価格化が同時進行することから、ギルダーは通信料金が無料に近づくだろうとまで言っている。通信データ量一ビット当たりの金額が斬近曲線のように低下していき、かぎりなく無料に近づくというのである。
 トランザクションの費用も急速にゼロに近づく。ニュースの見出しや株価情報といった情報そのものも、急激に無料にちかづいていくだろう。さらに、有形・無形を問わず、コピー可能なあらゆる品物が価格逆転の法則に従って、品質を高めながら安くなっていくだろう。自動車がタダになることはないにしても、走行一キロ当たりの費用はゼロに近づいていく。
 ネットワーク経済においては、最高級品質のものがどんどん安くなっていくことはまちがいない。しかしそのことが、新しい高価な品へ道をひらく。安い物を先取りする事が必要なのだ。

7.寛容の法則「まず無料で配れ」
 サービスが大衆化したときにそのカチが高まるとすれば、そしてその品質と価値が向上するにつれて価格は下がっていくとするなら、論理的帰結として、最高の価値をもっているのは、無料で配られるものになるはずである。
 マイクロソフトは自社のブラウザ、インターネットクスプローラーを無料で配っている。ご存じの通り、サンはJavaを無料で提供したことで、株価が上昇したばかりでなく、Javaアプリケーションデベロッパの業界を生み出した。
 一九四〇年代には若いエグゼクティブが重役会で、自分が開発した製品を無料で配布したいなどと発言することは考えられないことだった。しかし現在では、品物を無料で配ることは注意の賞賛を浴び、戦略としても妥当なものになっている。ネットワークではkakakuの逆転現象が起こり、さらにコピーを作る限界費用は限りなくゼロになる。物があふれるようになればそれだけ価値が増すのだから洪水のようにコピーが作られて、すべてのコピーの価値が増大していく。製品の評価が固まり、人々にとって欠かせないものになった段階で、付随的なサービスやアップグレードを販売するようにすれば、きぎょうとして寛容な姿勢を取りつづけることができるし、好循環を維持することもできるのだ。
 同様に、ハードウェアーも、ひとたびネットワークにつながれば価格逆転への力にさらされる。実際、携帯電話端末は通話サポートに加入してもらうために無料で配布されている。ほかにも、衛星放送用のパラボラアンテナなどが無料で配られることになるだろう。コピーを作る機能が安くなっていき、使ってもらう方のメリットが大きくなってくる段階で、すべての製品は無料で配布されるようになるのだ。
 こうした寛容さが支配するせかいで、企業が生き残るにはどうすればよいのか?当然の疑問である。これに答えるには、次の三つのことを考えてみればよいのだろう。
 第一に、「無料」という価格設定の最終目的なのだ。と考えることである。価格を無料に近づけようとする傾向が存在するのなら、実際にそうするのは無理にしても、無料に限りなく近づけて、実際には「タダ同然」にしてしまうことができる。非常に安い固定レートを設定すれば、完全に無料にするのと同じ効果を得ることができるかもしれない。
 第二に、ひとつの製品だけを無料にしておくことで、多くの場合、他のサービスの価値を高めることが出来る。たとえば、サンはJavaを配布してサーバーを売り込んでいるし、ネットスケープも消費者向けブラウザを配ることでサーバソフトウェアの売上をのばしている。
 三番目は、最も重要である。どのみち最終的にはタダで配ることになるだろうサービスや商品は、最初から無料にしてしまうことで、そのプロセスを先取りすることができるのだ。価格の推移を予想して先取りし、その価格にあわせて企業組織を組み立てるのである。
 無料の段階から商業ベースへ移行するのを急いではいけない。寛容の法則によって、ネットワークけいざいにおいて価値を創造するには、いわば「前商業段階」を経過することが必要になる。富をもたらすためには一定レベルの共有状態を達成するひつようがあるのだ。初期のインターネットでは、乱暴とも思えるほどに品質やサービスを配りまくるのが普通で、交換はもちろん、気前欲共有したり、あっさりと寄付してしまうことも多かった。逆に、オンラインで物を手に入れようとおもったら、こうした方法以外道がなかった。こうしたやり方は理想主義的と思えるかもしれないが、生まれて間もないサイバースペースで経済的な取引を実現するためには、これが唯一の正しい方法だった。ネットワーク経済においては、いかなる革新をも、ひとまず「物を配りまくる経済」の渦中に投げ出して、その非効率性の洗礼を受けさせなければ、商業ベースで十分な気宇かを達成することはできないのである。

8.忠誠の法則「何より先にネットワークをそだてよ」
 ネットワークの大きな特徴は、明確な中心をもたないことである。工業化時代の境界線が曖昧なことである。工業化時代に組織人が忠誠を示すには、「内部」と「外部」をはっきりと区別することが求められたが、ネットワーク経済ではこうした区別がかつてのような大きな意味をもたない。「内部」という言葉は、ネットワークに所属しているかどうかを表すものになっているのだ。個人が忠誠を示す対象は、組織というよりはむしろ、ネットワークとそのプラットフォームに移ってきている。
 従って、消費者はオーピインアーキテクチャを熱烈に歓迎するようになる。ユーザーは、ネットワークそのものの価値を最大化する方向へ動くのだ。企業にも、同様のことが求められる。ネットワーク世界では、企業第一の目的が「企業の価値を高めること」から「インフラストラクチャ全体の価値を高める」ことに移行していく。たとえばゲーム会社なら、ユーザー、デベロッパー、ハードウェア、メーカーを含めたプラットフォーム全体の地位を高めることに専念するようになる。
 ネットワークとはいわば「可能性を生み出す工場」であるが、この爆発的なパワーを何らか手段で利用できる形にしなければ、可能性の海で溺れてしまうことになる。コンピューター業界が「規格」と呼んでいるのは、コンピューターの可能性が多様でありすぎるために、何とか手をつけられる形にまとめるひとつの試みともいえる。規格が整ったネットワークは強力になる。規格という束縛によって一定の手法が用意され、さまざまな革新や発展が加速する土台ができるからだ。可能性の選択を行うのが必要不可欠であることから、各企業は統一規格を尊守することを余儀なくされる。規格を定める立場にある企業はそれだけで大きな収穫を得ることになるが、その企業が成功するということは、同じ規格に守られたネットワークに属するほかの企業も成功するということだ。
 最大の繁栄を求めるなら、何より先にネットワークを育てなくてはならない。

9.委譲の法則「トップの座をすてよ」
 自然のバイオームの中には、生き物が非常に暮らしにくいところもある。たとえば北極地方では、生物の生活様式もほんの数種類に限られる。一方で、せいめいにとってのチャンスがあふれたバイオームも存在する。こうした場所ではそのチャンスも絶え間なく変動し、生物学的時間の中で明滅を繰り返すから、生き物たちも最大限の適応をめざして絶えず努力を続けてなくてはならない。
 ネットワーク経済の形も活気にあふれたバイオームになぞらえて考えることができる。新しいニッチが次々に現れる一方、消え去るのも早い。足元に競争企業が現れ、足場を崩し始める。お山の大将になったと思ったら、次の日には山そのものがなくなっていることも珍しくない。
 営利・非営利を問わずすべての組織は、最大の適応に向けて努力する中でふたつの問題に直面する。厳しい変動が絶え間ないネットワーク経済では、このふたつの問題が従来よりも深刻になるのだ。
 工業化時代には、環境は比較的単純であり、最善の製品がどんなものか判断することも容易だったし、環境の変化もゆっくりだったので、企業が自分の居場所を決めるのも難しくなかった。それに対してネットワーク経済では、本当に高い丘を探し出したり、見かけ倒しのピークを見抜いたりするのが容易ではない。これが第一の問題である。
 特定のテクノロジーで世界最高のきぎょうを目指していたのに、そのテクノロジーに発展性がないとわかったら笑い話ではすまされない。
 厳しい言い方に聞こえるかもしれないが、新しい経済においては、何らかの形で行き詰まることが避けられない。多くの場合、予想よりも早く製品の最盛期が過ぎ去ってしまうからだ。一つのピークをきわめたとしても、ほかの商品が現れて環境が変ってしまい、山ごともっていかれることになる。ひとつのピークからほかのピークに移動するには、まず坂を下り、谷を渡り、次の坂を登らなくてはならない。従って、自分の進んできた道を捨て、低適応状態に自ら進んでいくことが必要なのだ。
 ここで第二の問題が出てくる。生き物同様、組織も自分がすでに知っていることに適応する方を好み、いったん手に入れた成功を手放したがらない。そもそも企業経営には、手に入れた成功を「手放す」という発想を生む余地が全くないのである。
 しかし、我々の知る限り、ほかに選択枠はない。よく出来た製品を見限り、大金をつき込んだテクノロジーとブランドを捨て、自ら混乱に身を投じ、希望をもって次の上り坂に挑戦する以外道はない。将来は、どの企業もこうした努力を繰り返すようになるだろう。したがって、いったん確立したものを打ち壊す技術がなければ、革新を生み出す出すことも出来ないのである。

10.置き換えの法則「ネットワークが勝つ」
 数多くの識者が指摘している通り、現代の経済では物質が情報に次第に置き換えられている、たとえば、自動車の重量が小さくなり、性能が上がってきた。質量の減ったぶんは、プラスチックやコンポジットファイバーなど、高度なノウハウがつまった非常に軽い部品に置き換えられている。ネットワーク経済においては、このような質量からデータへの置き換えがさらに激しきなるだろう。
 「拡大報酬」や「まず無料で配る」といったソフトウェア業界・コンピューター業界の現象は、鉄鋼、石油、自動車、農業などの業界では特殊なケースと考えられている。しかし、ネットワークの運動法則が経済全体を支配するようになるだろう。
 たとえば、未来のエネルギー問題に詳しいエーモリーロビンズは自動車に関して次のような論理を展開している。「自動車ほど見事に工業化時代を代表する存在はほかにないが、チップとネットワークは、その自動車の工業時代的な要素を駆琢していく」
 現在の車はすでに、並みのデスクトップパソコンを上回る性能のコンピューターを搭載しているのが普通だが、ハイパーカーが意味するのは「多数のチップを搭載した乗り物」ではなく、むしろ「車輪がついたチップ」というべきものだ、とロビンズは指摘する。自動車はすでに、半導体モジュールを目指して動き出しているというのだ。そして、そういう自動車が走る道路のシステムも、ネットワーク経済の法則に沿って働く分散型電子ネットワークとして次第に接続されていく。
 すべてのものが一定の質量をもつことは疑いがないあが、その中を流れる知識と情報の圧倒的な量に比例すれば、質量は二次的な意味しかもたなくなってしまう。そして経済的な観点から見れば、これらのものはすべて質量をもたないものとして振舞うことになり、従ってネットワーク経済に組み込まれていくことになる。

11.激動の法則「持続可能な不均衝を求めよ」
 工業化時代の一般的な見解によれば、経済は最大限の効率が得られるように調整すべきマシンのようなものであって、きちんと調整してやれば、調和の取れた生産体製を維持できると考えられていた。
 しかし、ネットワークが我々の世界に浸透するにつれて、経済は生態系に近い様相を呈するようになる。構成員が相互に影響し合いながら、ともに進化してゆく。経済は絶え間無く変動し、複雑に絡み合い、常に拡大し続ける存在になったのである。生物学が近年明らかにしてきたように、自然には安定した均衝は存在しない。進化が進むにつれて、新しい種が古い種を駆遂するなどの混乱が起き、バイオームの構成も常に変化し、生物と環境は互いに影響を与え合っているのだ。これはネットワーク経済の姿そのものである。企業のライフ・サイクルが短くなり、何度となく職を変えるのも当たり前になり、業界も、常に変動する無数の企業の捉えがたい集まりにすぎなくなる。
 「変化」と言う言葉は、工業化時代と情報経済にもなじみの深い言葉だった。七〇年にアルビン・トフラーが「未来のショック」という言葉を使ったのは、変化の加速に対する、人類の反応だったといえる。しかし、ネットワーク経済は「変化」の時代ではなく、「激動」の時代なのだ。
 「激動」は、破壊と生成をもたらす造作的な力である。覇者を引きずる下ろし、さらなる革新と創造をもたらすプラットフォームを生み出す激動は、「複合的再生」とも表現できるだろう。
 テキサス大学が二十二年間にわたってテキサス州の企業の動向を調査したところ、七〇年以降、企業の寿命が半分になったことが分かったという。これは「変化」である。一方、テキサス州のオーチン市は、州の中でも企業の寿命が最も短い場所であるにも関わらず、雇用が生み出されるスピードが最も早く、賃金も一番高かった。これが「活動」なのである。ヒックスは、雇用数合計を維持したり増大させると言ったアプローチではなく、経済的激動を促進することによって、テキサス州経済を絶え間なく再創造していくべきだと論じている。皮肉な事に、激動を促進することによってしか長期的な安定を得る事はできない、と言っているわけだ。
 革新が、ある意味では破壊である以上、絶え間絶ない革新は絶え間ない破壊を意味する。どうやらこれが良くできたネツトワークの目標になりそうだ。つまり、不均衝を常に維持するということである。多くのエコノミストがネットワーク経済の研究を始めているが、ネットワークが紙一重のとことではじめて機能するということでは見解が一致している。混乱に満ちた激動があるから、生命力をもたらす再生と成長が可能になるのである。
 ともあれ、ネットワーク経済の最も重要な使命は、会社や業界をひとつずつ打ち壊していき、工業化時代の幕を引くことにほかならない。創造的な激動は、それ自体が芸術といってもよい。どちらにしても、安定を求め、生産性を求め、生産性を既存の成果を守るというアプローチは、苦痛を長引かせるだけである。自信がないから、激動を引き起こすべき
 である。ネットワーク経済においては、持続可能な不均衝を求めなくてはならないのだ。

12.非能率の法則「問題を解決するな」
 ネットワーク経済は、最終的に我々に何をもたらすのか?
 エコノミストはかつて、将来においては最高の生産性が実現すると考えた。しかし事実はその逆で、テクノロジーが発展しても明確な生産性の向上をもたらすことはなかった。
 これは、生産性に注意を向けたこと自体が間違いだったからである。生産性を計測する試みの問題点は、それによって計測されるのがしフォトをこなす能率だけで、仕事の内容が度外視されることである。言い換えれば、生産性を計測できるような仕事は、人間の職業としてはできればなくしてしまった方がよいくらいのものだ。
 ピータードラッカーが指摘した通り、工業化時代の労働者は、自分の仕事のやり方を改善することが求められた。すなわちこれが生産性である。ネットワーク経済では、非人間的な生産プロセスを機会がほとんどこなしてくれるために、労働者の使命は「自分の仕事を正しくこなすこと」ではなく、「自分がやるべき正しい仕事を見つけること」になる。これからの時代は、次にやるべき仕事を見つけることの方が、今の仕事の能率を上げることよりもはるかに「生産的」なのだ。ただし、仕事を見つけるには、探求と発見のセンスに基ずく判断が必要になる。これは生産性のように数字で図ることができないから厄介だ。
 ネットワーク経済においては、生産性がネックになることはない。社会的・経済的な問題を解決する能力が足りない場合、主にそれはチャンスを捕まえる想像力が欠けているためであって、解決方法を最適化する能力がないためではない。「問題は放っておいて、チャンスをさがすべきだ」というのはドラッカーの言葉だが、最近ジョージギルダーも似たようなことを言っている。問題に取り組んでいるとき、人間は自分の弱みに投資していることになるけれども、チャンスを探しているときは、ネットワークを活用していることになるからだ。ネットワーク経済の非常に良いところは、人間の強みを促進する働きをしてくれることだ。
 我々の心は、始めのうちは経済成長や生産性といった古い法則に縛られているだろうが、ネットワークに耳を傾けていれば、それもほどけていくに違いない。ネットワーク経済においては、問題を解決してはいけない。チャンスを探すべきなのだ。